更新情報や日々の徒然雑記
2006
ただいま帰宅しました・・・
日々、残業する時間が延びているのは、私が効率の悪い仕事をしているからなのでしょう(苦笑)
出前を進める時間が少なくても、徐々に進めております。
一応半分くらいはできている状態です。
さて、話を変えます(ごめんなさい、眠くて頭が動かないのです)
一つ出前の番外編をここで更新いたします。
題名はタイトルどおりに「憩いのひと時」
確か2か3万ヒット記念に書き上げたものです。
しかし、大幅に物語を変更してしまったために、アップをすることができなくなったという、計画性のなさを証明する一品(遠い目)
本来ならば、花鳥編終了後の話になる予定でした。
しかし、もうどうやってもほのぼのとした展開にはえらく長い時間がかかってしまうので、本編とはなんら関係なくなってしまったとはいえ、未練がましくこっそりと公開します。
こういうほのぼのとした時間、取り入れたかったのです……
読まれる方は、本編とは一切関わりのないものとしてお読みくださいませ。
日々、残業する時間が延びているのは、私が効率の悪い仕事をしているからなのでしょう(苦笑)
出前を進める時間が少なくても、徐々に進めております。
一応半分くらいはできている状態です。
さて、話を変えます(ごめんなさい、眠くて頭が動かないのです)
一つ出前の番外編をここで更新いたします。
題名はタイトルどおりに「憩いのひと時」
確か2か3万ヒット記念に書き上げたものです。
しかし、大幅に物語を変更してしまったために、アップをすることができなくなったという、計画性のなさを証明する一品(遠い目)
本来ならば、花鳥編終了後の話になる予定でした。
しかし、もうどうやってもほのぼのとした展開にはえらく長い時間がかかってしまうので、本編とはなんら関係なくなってしまったとはいえ、未練がましくこっそりと公開します。
こういうほのぼのとした時間、取り入れたかったのです……
読まれる方は、本編とは一切関わりのないものとしてお読みくださいませ。
心地のよい気温。
肌を撫でる爽やかな風。
鈴は城内にある庭園に座り込み、浅い眠りに誘われている。うとうとと、眠気で頭を支えきれずに体が揺れていた。どこかに寄りかかればいいものを、ほんの少しの移動を面倒がっている。もし少しでも動いていたら、一気に眠気が吹き飛んでしまうような気がしていた。
本来ならば部屋で昼寝でもして、残り少ない一日を寝て過ごしていただろう。それはそれは気持ちよく、深い眠りに満足できたはずだ。時は金なり。金品も大事なものの中に入っているが、それがすべてではない。今したいことを後悔しないようにすればいい。あとで自分の選択を苛んでもどうにもなりはしない。
鈴としては小難しいことを考えているつもりだった。それによって少しばかり優秀な人物に近づけた気分に浸っており、一人でにやにや楽しげに笑っている。その姿は周囲からすると異様である。普通ならば気味悪がられて誰も近づくことはしない。下手をすると警察に不審人物と通報されかねない状況だった。
だが、鈴がいるのは異世界だ。鈴にとっては運のいいことに、警察がいないので通報されなくて済んでいる。
ただし、それが幸せかどうかは判断できない。なぜなら――
「やあ、リン。楽しそうだね」
にこにこと鈴以上に楽しげに笑っている青年が、鈴に歩み寄ってくる。うさんくさいジオラスだ。この時刻は部屋で仕事をしている最中なのに、どうして外にいるのだろうか。しかも鈴は誰にも見つからないために、物陰に身を潜めて座っていた。よりによって見つかってしまう相手がジオラスだとはついていない。嫌な声を聞いたおかげで、眠気がきれいに吹き飛んでしまった。
恨めしげに見上げると、視線を気にも留めずに鈴の隣に座り込んだ。そして自分を睨んでいる鈴に、とろけるような微笑みを向けた。鈴としては、そのままどろどろに溶けてしまったほうが嬉しい。しかし現実に目の前で起きたら恐ろしいので、それなりに溶けろと願いを込めて相手を見ていた。
残念なことに、鈴の願いは叶えられなかった。
「なにを考えていたの?」
ジオラスは涼しい顔で鈴を見つめている。今すぐにどっかいけ、と強い念が込められた鈴の視線にも動じない。笑顔でさらりと交わして居座っていた。人の憩いの場所に無断で入ってくるとは、なんと図々しいやつだ。
だが無視しているとろくなことにはならない。鈴の気を引こうとしているのか、ジオラスは無邪気を装ってとんでもないことをやらかしてくれる。顔が引きつるだけならましなほうで、へたをすると周囲の人々を巻き込んで、悲鳴の嵐を引き起こすのだ。しかもその責任は、なぜかジオラスではなく鈴、あるいはその他の人に取ることになるという、最悪な状況に陥る。すでに体験済みなのが嫌なところで、逃げられないことも重々承知していた。
力なくため息をついて、鈴は目をそらしながら無難な対処法をとることにする。
「元の世界のことを考えてました」
嘘だと見破られても構わない。重要なのは相手の遊び心を刺激しないことだ。そうすれば災難に遭うこともない――と信じたい。
いったいなにが返ってくるやらと身構えながらも、遠くを眺めているふりをしているのだが、多少時間が経過してもジオラスは何も言わない。相手の様子を確認したいが、目が合うのを恐れて隣を見ることができないでいる。物音がしないので、ここには一人でいるような気さえしてきた。先ほど姿を見たのも幻であったように思えてくる。そんなわけがないのは、手の平にかいた汗で分かっている。ジオラスの近くにいるときは、悪い意味で常に緊張していなければならない。
精神的に限界がきて沈黙に耐えられない、というところで、ようやくジオラスは口を開いた。
「動物は好き?」
「は?」
関連のない話題に、鈴は間抜けな声を出していた。
いったいその話はどこから出てきたのか。辺りを見回して、動物の姿がないことを確認する。まさか凶暴鳥がいるのかと怯えたのだが、それは杞憂に終わった。
「突然すぎて意味がよく分からないです」
「ただ僕が知りたいだけだよ。リンの好きなものは、金目のもの以外にあるのかなって」
「はい、お金は大好……って、ちょっと待てー!」
さりげなく言われて、反射的に頷きかけてしまった。なんて危険な罠が仕掛けられているのか。
鈴は引きつった顔でジオラスを睨む。冷や汗をかいているのは気のせいだ。別に真実を言い当てられたからでは決してない。不名誉なことを言われて頭に血が上っているだけだ。けれどなにか言い返そうとするものの、否定の言葉がでてこない。
うろたえている鈴を見て、ジオラスはひどく楽しげな顔をする。鈴は頭の中を整理するのに忙しくて、相手の口元がなにか企んでいるときの嫌な笑みになっているのに気づけなかった。
「リンは高価な物を見るとすぐに目を輝かせてる。でもね、他のものには一切興味を示さないだろう? だからなにが好きなのか知りたいな」
ジオラスは身を乗り出したけれど、鈴はその近づいてきた分だけ退いた。両者の距離は一定に保たれている。
話を聞いているうちに、鈴は昔の自分を思い出していた。きらきら光っているものは大好きです。小さい頃についたあだ名は『カラスちゃん』だった。輝くものを拾ってきては部屋に溜め込んでいた記憶がある。ただしプラスチックなどの偽物には、まったく興味を示さなかった。なんて嫌な子供だ。
自分のことながら、金目のものだけを目で追っていたとは呆れてしまう。しかも気づかれて指摘されてしまった。それほどまでに分かりやすい態度を取っていたのだろうか。鈴は小さくため息をついた。
遠い目をしている鈴に、ジオラスは近づいてまたしても逃げられている。それでも気にせずに話しかけた。
「それでどう? 僕のこと好き?」
「小動物が好きです」
「……それはよかった」
無視をしたところでたいした問題はない。ジオラスの頬が引きつったのは見えなかったことにした。
ふざけた問いかけに答える義理も気遣いもない。鈴はつんと澄ました態度で相手をしているが、心の中は荒れに荒れていた。バカ、という単語を何度繰り返したか分からない。やはりジオラスといるときは油断してはならないということか。へたに本音をもらしたりすれば、間違いなく命の危険にさらされるだろう。
嫌な相手とはさっさと離れるに越したことはない。ぼろを出す前に立ち去ろうとした。
「用事があるので失礼しますね」
これで安全だと思った鈴の認識は、誤りだった。
「待ちなよ」
立ち上がりかけたところで腕をつかまれる。ジオラスのやけに機嫌のいい声に、鈴は身震いした。危険だ、と本能が叫んでいる。
慌てて腕を振り払おうとしたが、強くつかまれてもいないのに、いつまでも腕は離れないままだ。これは本気でまずいかもしれない、と気がついたときにはすでに遅かった。
座り込んでいたジオラスがゆらりと立ち上がる。揺れる銀髪に気をとられていると、前髪からのぞいた紫色の瞳に身を竦ませる。なにやら非常に機嫌を損ねているらしく、瞳に宿る光は怪しく、冷たい色を宿している。
「さあ、行こうか」
「ど、どこへでしょうか。わたし、このあと用事があるのでこれで失礼させていただけたらなー……なんて冗談ですよごめんなさい。予定なんてありませんから睨まないでくださいよ!」
「嫌だな、人聞きの悪い。僕は可愛いリンに見とれていたんだよ」
心臓に悪いし気持ちが悪い。
不満を叫びたい気持ちでいっぱいだが、鈴は大人の忍耐と唱えることによって、堪えることに成功した。これ以上余計なことをしてジオラスの不興を買うのは得策ではない。だからといって、相手の言いなりになるなどごめんだ。しかし鈴一人では太刀打ちできないのも事実。どうにかして味方を見つけなければならない。
鈴はジオラスに引きずられながらも、命がけで人の姿を探した。
誰か、誰でもいいから助けて。
心の叫びが天に届いたのか、城内に入ったところでイラギとばったり出くわした。しかしなぜだろう。藁にも縋りたい気持ちなのに、鈴の目の前は真っ暗になった。
イラギは鈴の落胆には気づかずに、ジオラスが鈴の腕をつかんでいるのをみて、嬉しそうに笑う。
「仲良くどこかへ出かけるところか?」
「鈴に見せたいものがありましてね。あなたは相変わらず仕事で忙しそうですけれど、身体を壊さないように気をつけてください」
口早に述べると、ジオラスは鈴を連れて足早に立ち去ろうとした。けれどその前にイラギが立ちはだかる。心なしか顔色が悪い。
「ジオ。お前の仕事はどうした?」
「もちろん全部あなたのところへ回しておきましたから」
イラギに比べて、やけに顔色のいいジオラスは、普段以上に輝かしい微笑みを振りまいた。鈴にとっては、うさんくささが割り増しされた表情にしか見えない。しかし他の者たちにとっては素敵な笑顔に見えているらしい。うろたえるイラギは見ていて実に面白いのだが、目におかしなフィルターがかかっているとしか思えない。一度病院へ行って診察してもらうべきだ。
「書類が多くて運ぶのに少々苦労しました」
ふう、といかにも疲れたといわんばかりの息を吐いて、弱々しく微笑んでみせる。その隣で、鈴は引きつった顔を元に戻すのに苦労していた。ジオラスが自ら肉体労働をするわけがない。付き合いの短い鈴でさえ知っていることなのに、イラギは彼の言葉を鵜呑みにしている。簡単に騙されてしまうとは呆れてものも言えない。これが国を統治している人かと考えると、頭が痛くなってくる。
鈴に呆れられているとも知らずに、イラギはジオラスを気遣っていた。
「そ、そうか。重労働をさせてしまってすまないな」
「重労働!?」
たったそれしきのことで。
驚く鈴に二人とも関心を向けなかった。
「宰相が手伝ってくれましたから、お気になさらずに」
「なにが手伝ってくれた、だ。貴様が押しつけたんだろう!」
突如として現れたルピナスは、苛立ちを隠さない口調でジオラスに詰め寄った。しかし姿を現したタイミングからして、付近に身を潜めて聞き耳を立てていたとしか考えられない。随分と変態まがいなことをしているものだ。
ルピナスは鈴の冷たい目に気づけないほど頭にきているらしく、ジオラスを鋭く細められた目で睨みつけている。眼前に突きつけた指先が震えていた。
「よくもこの私をこき使ってくれたものだな」
「人聞きが悪いな。僕の願いを君が進んで叶えてくれただけだ。それに苛々していると、唯一の長所である綺麗な顔が歪むよ?」
「落ち着け!」
「わーっ、暴力禁止ー!」
艶やかな髪を振り乱し、ジオラスにつかみかかろうとしたルピナスをイラギが引き離す。そしてまだまだ嫌味を言い足りなさそうにしているジオラスを、鈴が引っ張って連れて行こうとした。
しかしすぐにジオラスに手を引かれる側になる。
「へ?」
「それじゃあ僕らはこれで失礼しますから」
ちょっと待て、というイラギの声にも振り向かず、ジオラスは走り出した。必然的に手をつかまれている鈴も走らざるを得ない。背後から聞こえてくる怨念の声が恐ろしく、立ち止まるに止まれない状況でもあった。
ルピナスのことを考えて、鈴は青ざめる。ジオラスに仕返しできなければ、ルピナスは鈴かイラギに八つ当たりをすることだろう。ねちねちと陰湿な嫌味を耐えるのは、精神的に非常に厳しいものがあるのだが、普段鈴も同じことをしているので文句も言えない。だが諦めて受け入れることもできずに、鈴はなけなしの勇気を振り絞ってジオラスを責めた。
「どどどどうするんですか、あの人。すっごい怒ってたじゃないですか! いったい何をしたんですか!?」
「別に何もしていないよ。手をつけていない書類の処理を、彼が快く引き受けてくれたぐらいで」
ほっと一安心――するわけがない。
表面上の微笑みだけで騙されそうになるが、よくよく考えてみれば、ちょっとしたことでルピナスがあそこまで怒り心頭に達するのはおかしい。間違いなくなにかある。
引きつった顔を無理やり愛想笑いに変えた。
「……あの人はどうして引き受けてくれたんですか?」
「書類の量が結構多くて、僕が困っているのを見るに見かねて助けてくれたんだと思う。いい人だね」
不思議なことに『人がいい』と言っているようにしか聞こえない。
すべては鈴の妄想なのか。ジオラスは相変わらずの微笑みを浮かべていた。
「頑張っても一日では終わらない量だったから、必死になってやってくれたんだろうね」
「一日で終わらせる必要があったんですか? まさか、さぼって仕事を溜め込んでいたんじゃ……」
ジオラスはくすりと笑い、わずかに首を傾げる。
「何のことか分からないな」
「あああああの人に謝れー!」
誰が八つ当たりされると思っているんだ。おそらく何もかも分かっていながらの行動なのだろう。経験上、ジオラスが考えなしに行動したことはなかった。
余裕の笑みが腹立たしくて、鈴はジオラスにつかみかかろうとしたものの、寸前で止まる。一度手を出したが最後、反撃に何をされるか分からない。これ以上巻き込まれる前に、じりじりと後退して逃げ出そうとした。
しかし、それを見逃す相手ではない。逃げられる前に、素早く手を伸ばして鈴をとらえた。
「放してー!」
「騒ぐと迷惑になるよ。あ、あそこにいた。ほら、見てごらん」
鈴の叫びもむなしく、ジオラスは自由気ままに行動している。だからこの人は嫌なんだ、と内心呟くも、つかまれた腕が振り払えずに肩を落とす。
諦めが肝心か。
乾いた笑みを振りまきながら、鈴はジオラスが指差した方角を見た。どうせろくなものではないという考えが、そこにあるものを視界に入れて認識した瞬間に変化した。
「か、かわいーっ」
くりっとした丸い瞳。黒い小さな鼻。色はこげ茶色の小型犬が、不自然なまでに通路の真ん中に座っていた。愛くるしい顔を鈴に向けて、ふさふさとした尻尾を横に振っている。
反射的に駆け出しかけた鈴だが、途中で唐突に我に戻る。
「あの犬、この城で飼っているんですか?」
「違うよ。あれは女官長の子飼いで、特別に城内を自由に出歩く権利を与えられているんだ。あれはとても賢いよ」
「女官長の……」
素早く視線を周囲に走らせる。怪しげな人影が見当たらず、ほっと胸を撫で下ろした。だが油断は禁物だ。至るところに姿を現したり、所持する情報量の多さからして、どこにでも潜んでいる気がしてならない。
恐る恐るにじり寄る鈴に、ジオラスは小さくふき出した。
「そんなに怖がらなくても噛まないよ」
「あの子が噛まなくてもあの人に噛まれます!」
「それはあるかもしれないね」
否定してもらいたかったのに。せめて安心できる言葉をかけて欲しかった。
ジオラスのように明るい笑い声を上げている場合ではない。鈴は可愛らしい犬に触れることよりも、女官長の居場所を突き止めるほうを優先させた。
「彼女は心優しい人だから、あれで遊んだところで怒らないよ。リンは小動物が好きなんだろう? 触ってみたらどうかな?」
「……いったい、何を企んでるんですか」
鈴に胡乱な目で見られても、ジオラスはまったく態度を変えない。善人の仮面を被り続けて、にこやかに佇んでいた。鈴にはやたら近づくように話しているにも関わらず、犬を見つけてから一歩も動いていない。明らかに怪しい。
怪しいのだが――気がつけばちらりと横目で犬を見つめてしまう。可愛い。遊んで、と訴えているような瞳を見るだけで、引き寄せられそうになる。いけないと考えれば考えるほど、犬のことが気になって仕方がない。
ほんの少しなら触れても大丈夫かも。
何の根拠もない安心感を自分に植え付けてしまうしまつだ。煽るものはいるが、鈴を止めるものはいない。
「くっ……こやつめ、可愛いじゃないかっ」
欲に負けて鈴は走り出した。そして犬が怯えられても関係なく、その小さな体を抱きしめる。行き届いた手入れがされているのか、毛並みがよく、さわり心地もとてもいい。いかにも世話にお金がかかっている犬を、鈴は少しだけ羨ましく思った。
誰でもいいから、もう少しわたしを労わってくれないかな。
変人ばかりと付き合うのは、心労が絶えない。常に厄介ごとに備えていないと、完全に巻き込まれて大変なことになる。
日々の辛さを、犬と触れ合っているだけで薄れていくのだから不思議だ。動物は心の癒しを与えてくれる。それは異世界であろうと変わりないのだろう。
至福の笑みを浮かべて犬と戯れている鈴を、ジオラスは嬉しそうに少し離れた場所で見守っていた。
「ジオもこの子に触る?」
別にいなくても構わない、むしろいないほうが嬉しいのだが、いつまでも近づいてこないジオラスに、鈴は声をかけた。広すぎる心を持って接する自分を、鈴は誰も褒めてくれないので、心の中でひっそりと自画自賛した。だがあまりのむなしさに肩を落とす。
うな垂れている鈴に、ジオラスは不思議そうな目をしながら歩み寄る。
「どうかした?」
「いえ、なんでもな……」
ふう、とため息をつきながら、鈴は犬を見つめた。その瞬間、石化した。
「リン?」
「ひえぇえええっ!」
声をかけられて、石化がとけた。直後に鈴はためらうこともなく、手にしていた犬を放り投げてジオラスに抱きついた。いつもならありえない行動に、さすがのジオラスも目を丸くする。鈴自身、動転していなければ絶対にこんなことはしていない。自分がいったい何をしているのか、まったく理解していなかった。
意識が向いているのは、先ほどまで手にしていた生き物に対して。
「目がっ、目がぁ!!」
鈴はジオラスの背中に回り、片手で力強くしがみついた。相手が苦しげな表情になっていることにも気づかずに、鈴はもう片方の手で犬を指差して叫んでいる。
悲鳴に近い声を聞いてもジオラスは困惑したままだった。
「目が痛いの?」
「違う!」
鈴は遠慮なしにジオラスの背中を叩いた。
「見てくださいよっ、あの犬、目が三つもあるじゃないですか! いやーっ、なんかこっちにくるし!」
もう遊んでもらいたそうな瞳を見ても、鈴にとっては恐怖の対象でしかなかった。
二つの目の間、斜め上にある三つめの目がきらりと光る。それだけでもどうしていいか分からなくなるというのに、短い足でとてとてと近づかれている。
犬が近づいた分だけ、悲鳴を上げながら後退する鈴に引っ張られていても、ジオラスは満足そうに笑っていた。
「そうか。リンの世界に犬はいても、目は二つしかないのか」
「なに一人でうんうん頷いてるんですか! あれは犬じゃないですっ。早く逃げましょう!」
大きな声で騒ぎ立てる鈴に、ジオラスは珍しく笑顔を消して顔をしかめた。いつもは笑顔で隠れている怜悧な面。端正な顔立ちがいっそう色濃く際立たせている。
「目の数が違うだけで、君は手の平を返すのか」
問いかけではなく断定。淡々とした口調はなぜか優しさを感じさせるのに、強く突き放された気がした。
明らかな嫌悪感を示されて、鈴は息を呑む。つかんでいた手をとっさに放す。振り払われるのが怖かったのかもしれない。好きでもない相手にどんな態度を取られても、一向に構わないはず。何をしているんだろう、と鈴は自分の行動に頭を悩ませた。
重い沈黙が流れていく。どちらも言葉を発することはなく、相手の目の奥にあるものを探るように見つめ合っていた。しかし、しばらくして鈴は冷ややかな眼差しに耐えられなくなり、不意に目を逸らす。
何かが途切れた気がした。
「冗談だよ」
「……へ?」
頭の上から降ってきた明るい声に目を丸くする。
視線を戻せば、ジオラスはいつもの表情でにっこりと笑っているではないか。先ほどまでの冷たい空気などなく、幻でも見ていたかのような錯覚を覚えた。他人のことは言えないが、この変わり身の速さは何なんだ。
ジオラスは悪戯っぽく笑い、鈴の顔を覗き込む。
「リンの取った行動は正解。もしかして、気づいてた?」
「気づくって……」
いったい何に?
呆然と周囲に視線をめぐらせると、いつの間にか犬の姿が消えていた。怯える鈴に興味をなくして、別の場所へ行ったのだろうか。犬の行方について考え込んでしまい、あとの言葉が続かない鈴に、ジオラスは苦笑する。
「知らなかったのか。あの犬はね、牙に毒を持っているんだ。危なかったね、リン。これからは三つ目の動物に気をつけたほうがいい。大抵三つ目は攻撃性が強いから」
悪びれるふうもなく言い切る相手に怒りがわくのは必然だった。
「毒!? あ、あ、あんたっ、知っててわたしを連れてきたでしょう! わたしのこと殺す気!?」
「まさか。危なくなる前に止めているよ。少し驚かせようかと思って」
「少しどころか心臓に悪すぎる! このバカ!」
ジオラスのわき腹を力強く叩いた。顔を狙わなかったのは、当たる前に止められるというのもあるが、どれほど怒り狂おうとも端正な顔を殴るのは忍びなかった。
「あんたなんか大っ嫌い!」
再び叩いてから、鈴は仕返しを恐れて身を翻して逃げ出した。背後から追ってくるくすくすという笑い声に腹を立てつつも、怒りを発散するために戻る気にはなれない。きっと今戻れば捕まって、必ずや報復される。悪いのは自分ではない、相手だ。だからやられてやる義理はない。
脱兎のごとく逃げ出した鈴は、一度も振り返ることはなかった。悪魔から逃げおおせた彼女のことを、一部の者たちは伝説として語り継ぎ、尊敬したとかしないとか。
後日、女官長がなぜ危険な生き物を飼っているのか疑問に思う鈴だったが、その謎が解かれることはなかった。
肌を撫でる爽やかな風。
鈴は城内にある庭園に座り込み、浅い眠りに誘われている。うとうとと、眠気で頭を支えきれずに体が揺れていた。どこかに寄りかかればいいものを、ほんの少しの移動を面倒がっている。もし少しでも動いていたら、一気に眠気が吹き飛んでしまうような気がしていた。
本来ならば部屋で昼寝でもして、残り少ない一日を寝て過ごしていただろう。それはそれは気持ちよく、深い眠りに満足できたはずだ。時は金なり。金品も大事なものの中に入っているが、それがすべてではない。今したいことを後悔しないようにすればいい。あとで自分の選択を苛んでもどうにもなりはしない。
鈴としては小難しいことを考えているつもりだった。それによって少しばかり優秀な人物に近づけた気分に浸っており、一人でにやにや楽しげに笑っている。その姿は周囲からすると異様である。普通ならば気味悪がられて誰も近づくことはしない。下手をすると警察に不審人物と通報されかねない状況だった。
だが、鈴がいるのは異世界だ。鈴にとっては運のいいことに、警察がいないので通報されなくて済んでいる。
ただし、それが幸せかどうかは判断できない。なぜなら――
「やあ、リン。楽しそうだね」
にこにこと鈴以上に楽しげに笑っている青年が、鈴に歩み寄ってくる。うさんくさいジオラスだ。この時刻は部屋で仕事をしている最中なのに、どうして外にいるのだろうか。しかも鈴は誰にも見つからないために、物陰に身を潜めて座っていた。よりによって見つかってしまう相手がジオラスだとはついていない。嫌な声を聞いたおかげで、眠気がきれいに吹き飛んでしまった。
恨めしげに見上げると、視線を気にも留めずに鈴の隣に座り込んだ。そして自分を睨んでいる鈴に、とろけるような微笑みを向けた。鈴としては、そのままどろどろに溶けてしまったほうが嬉しい。しかし現実に目の前で起きたら恐ろしいので、それなりに溶けろと願いを込めて相手を見ていた。
残念なことに、鈴の願いは叶えられなかった。
「なにを考えていたの?」
ジオラスは涼しい顔で鈴を見つめている。今すぐにどっかいけ、と強い念が込められた鈴の視線にも動じない。笑顔でさらりと交わして居座っていた。人の憩いの場所に無断で入ってくるとは、なんと図々しいやつだ。
だが無視しているとろくなことにはならない。鈴の気を引こうとしているのか、ジオラスは無邪気を装ってとんでもないことをやらかしてくれる。顔が引きつるだけならましなほうで、へたをすると周囲の人々を巻き込んで、悲鳴の嵐を引き起こすのだ。しかもその責任は、なぜかジオラスではなく鈴、あるいはその他の人に取ることになるという、最悪な状況に陥る。すでに体験済みなのが嫌なところで、逃げられないことも重々承知していた。
力なくため息をついて、鈴は目をそらしながら無難な対処法をとることにする。
「元の世界のことを考えてました」
嘘だと見破られても構わない。重要なのは相手の遊び心を刺激しないことだ。そうすれば災難に遭うこともない――と信じたい。
いったいなにが返ってくるやらと身構えながらも、遠くを眺めているふりをしているのだが、多少時間が経過してもジオラスは何も言わない。相手の様子を確認したいが、目が合うのを恐れて隣を見ることができないでいる。物音がしないので、ここには一人でいるような気さえしてきた。先ほど姿を見たのも幻であったように思えてくる。そんなわけがないのは、手の平にかいた汗で分かっている。ジオラスの近くにいるときは、悪い意味で常に緊張していなければならない。
精神的に限界がきて沈黙に耐えられない、というところで、ようやくジオラスは口を開いた。
「動物は好き?」
「は?」
関連のない話題に、鈴は間抜けな声を出していた。
いったいその話はどこから出てきたのか。辺りを見回して、動物の姿がないことを確認する。まさか凶暴鳥がいるのかと怯えたのだが、それは杞憂に終わった。
「突然すぎて意味がよく分からないです」
「ただ僕が知りたいだけだよ。リンの好きなものは、金目のもの以外にあるのかなって」
「はい、お金は大好……って、ちょっと待てー!」
さりげなく言われて、反射的に頷きかけてしまった。なんて危険な罠が仕掛けられているのか。
鈴は引きつった顔でジオラスを睨む。冷や汗をかいているのは気のせいだ。別に真実を言い当てられたからでは決してない。不名誉なことを言われて頭に血が上っているだけだ。けれどなにか言い返そうとするものの、否定の言葉がでてこない。
うろたえている鈴を見て、ジオラスはひどく楽しげな顔をする。鈴は頭の中を整理するのに忙しくて、相手の口元がなにか企んでいるときの嫌な笑みになっているのに気づけなかった。
「リンは高価な物を見るとすぐに目を輝かせてる。でもね、他のものには一切興味を示さないだろう? だからなにが好きなのか知りたいな」
ジオラスは身を乗り出したけれど、鈴はその近づいてきた分だけ退いた。両者の距離は一定に保たれている。
話を聞いているうちに、鈴は昔の自分を思い出していた。きらきら光っているものは大好きです。小さい頃についたあだ名は『カラスちゃん』だった。輝くものを拾ってきては部屋に溜め込んでいた記憶がある。ただしプラスチックなどの偽物には、まったく興味を示さなかった。なんて嫌な子供だ。
自分のことながら、金目のものだけを目で追っていたとは呆れてしまう。しかも気づかれて指摘されてしまった。それほどまでに分かりやすい態度を取っていたのだろうか。鈴は小さくため息をついた。
遠い目をしている鈴に、ジオラスは近づいてまたしても逃げられている。それでも気にせずに話しかけた。
「それでどう? 僕のこと好き?」
「小動物が好きです」
「……それはよかった」
無視をしたところでたいした問題はない。ジオラスの頬が引きつったのは見えなかったことにした。
ふざけた問いかけに答える義理も気遣いもない。鈴はつんと澄ました態度で相手をしているが、心の中は荒れに荒れていた。バカ、という単語を何度繰り返したか分からない。やはりジオラスといるときは油断してはならないということか。へたに本音をもらしたりすれば、間違いなく命の危険にさらされるだろう。
嫌な相手とはさっさと離れるに越したことはない。ぼろを出す前に立ち去ろうとした。
「用事があるので失礼しますね」
これで安全だと思った鈴の認識は、誤りだった。
「待ちなよ」
立ち上がりかけたところで腕をつかまれる。ジオラスのやけに機嫌のいい声に、鈴は身震いした。危険だ、と本能が叫んでいる。
慌てて腕を振り払おうとしたが、強くつかまれてもいないのに、いつまでも腕は離れないままだ。これは本気でまずいかもしれない、と気がついたときにはすでに遅かった。
座り込んでいたジオラスがゆらりと立ち上がる。揺れる銀髪に気をとられていると、前髪からのぞいた紫色の瞳に身を竦ませる。なにやら非常に機嫌を損ねているらしく、瞳に宿る光は怪しく、冷たい色を宿している。
「さあ、行こうか」
「ど、どこへでしょうか。わたし、このあと用事があるのでこれで失礼させていただけたらなー……なんて冗談ですよごめんなさい。予定なんてありませんから睨まないでくださいよ!」
「嫌だな、人聞きの悪い。僕は可愛いリンに見とれていたんだよ」
心臓に悪いし気持ちが悪い。
不満を叫びたい気持ちでいっぱいだが、鈴は大人の忍耐と唱えることによって、堪えることに成功した。これ以上余計なことをしてジオラスの不興を買うのは得策ではない。だからといって、相手の言いなりになるなどごめんだ。しかし鈴一人では太刀打ちできないのも事実。どうにかして味方を見つけなければならない。
鈴はジオラスに引きずられながらも、命がけで人の姿を探した。
誰か、誰でもいいから助けて。
心の叫びが天に届いたのか、城内に入ったところでイラギとばったり出くわした。しかしなぜだろう。藁にも縋りたい気持ちなのに、鈴の目の前は真っ暗になった。
イラギは鈴の落胆には気づかずに、ジオラスが鈴の腕をつかんでいるのをみて、嬉しそうに笑う。
「仲良くどこかへ出かけるところか?」
「鈴に見せたいものがありましてね。あなたは相変わらず仕事で忙しそうですけれど、身体を壊さないように気をつけてください」
口早に述べると、ジオラスは鈴を連れて足早に立ち去ろうとした。けれどその前にイラギが立ちはだかる。心なしか顔色が悪い。
「ジオ。お前の仕事はどうした?」
「もちろん全部あなたのところへ回しておきましたから」
イラギに比べて、やけに顔色のいいジオラスは、普段以上に輝かしい微笑みを振りまいた。鈴にとっては、うさんくささが割り増しされた表情にしか見えない。しかし他の者たちにとっては素敵な笑顔に見えているらしい。うろたえるイラギは見ていて実に面白いのだが、目におかしなフィルターがかかっているとしか思えない。一度病院へ行って診察してもらうべきだ。
「書類が多くて運ぶのに少々苦労しました」
ふう、といかにも疲れたといわんばかりの息を吐いて、弱々しく微笑んでみせる。その隣で、鈴は引きつった顔を元に戻すのに苦労していた。ジオラスが自ら肉体労働をするわけがない。付き合いの短い鈴でさえ知っていることなのに、イラギは彼の言葉を鵜呑みにしている。簡単に騙されてしまうとは呆れてものも言えない。これが国を統治している人かと考えると、頭が痛くなってくる。
鈴に呆れられているとも知らずに、イラギはジオラスを気遣っていた。
「そ、そうか。重労働をさせてしまってすまないな」
「重労働!?」
たったそれしきのことで。
驚く鈴に二人とも関心を向けなかった。
「宰相が手伝ってくれましたから、お気になさらずに」
「なにが手伝ってくれた、だ。貴様が押しつけたんだろう!」
突如として現れたルピナスは、苛立ちを隠さない口調でジオラスに詰め寄った。しかし姿を現したタイミングからして、付近に身を潜めて聞き耳を立てていたとしか考えられない。随分と変態まがいなことをしているものだ。
ルピナスは鈴の冷たい目に気づけないほど頭にきているらしく、ジオラスを鋭く細められた目で睨みつけている。眼前に突きつけた指先が震えていた。
「よくもこの私をこき使ってくれたものだな」
「人聞きが悪いな。僕の願いを君が進んで叶えてくれただけだ。それに苛々していると、唯一の長所である綺麗な顔が歪むよ?」
「落ち着け!」
「わーっ、暴力禁止ー!」
艶やかな髪を振り乱し、ジオラスにつかみかかろうとしたルピナスをイラギが引き離す。そしてまだまだ嫌味を言い足りなさそうにしているジオラスを、鈴が引っ張って連れて行こうとした。
しかしすぐにジオラスに手を引かれる側になる。
「へ?」
「それじゃあ僕らはこれで失礼しますから」
ちょっと待て、というイラギの声にも振り向かず、ジオラスは走り出した。必然的に手をつかまれている鈴も走らざるを得ない。背後から聞こえてくる怨念の声が恐ろしく、立ち止まるに止まれない状況でもあった。
ルピナスのことを考えて、鈴は青ざめる。ジオラスに仕返しできなければ、ルピナスは鈴かイラギに八つ当たりをすることだろう。ねちねちと陰湿な嫌味を耐えるのは、精神的に非常に厳しいものがあるのだが、普段鈴も同じことをしているので文句も言えない。だが諦めて受け入れることもできずに、鈴はなけなしの勇気を振り絞ってジオラスを責めた。
「どどどどうするんですか、あの人。すっごい怒ってたじゃないですか! いったい何をしたんですか!?」
「別に何もしていないよ。手をつけていない書類の処理を、彼が快く引き受けてくれたぐらいで」
ほっと一安心――するわけがない。
表面上の微笑みだけで騙されそうになるが、よくよく考えてみれば、ちょっとしたことでルピナスがあそこまで怒り心頭に達するのはおかしい。間違いなくなにかある。
引きつった顔を無理やり愛想笑いに変えた。
「……あの人はどうして引き受けてくれたんですか?」
「書類の量が結構多くて、僕が困っているのを見るに見かねて助けてくれたんだと思う。いい人だね」
不思議なことに『人がいい』と言っているようにしか聞こえない。
すべては鈴の妄想なのか。ジオラスは相変わらずの微笑みを浮かべていた。
「頑張っても一日では終わらない量だったから、必死になってやってくれたんだろうね」
「一日で終わらせる必要があったんですか? まさか、さぼって仕事を溜め込んでいたんじゃ……」
ジオラスはくすりと笑い、わずかに首を傾げる。
「何のことか分からないな」
「あああああの人に謝れー!」
誰が八つ当たりされると思っているんだ。おそらく何もかも分かっていながらの行動なのだろう。経験上、ジオラスが考えなしに行動したことはなかった。
余裕の笑みが腹立たしくて、鈴はジオラスにつかみかかろうとしたものの、寸前で止まる。一度手を出したが最後、反撃に何をされるか分からない。これ以上巻き込まれる前に、じりじりと後退して逃げ出そうとした。
しかし、それを見逃す相手ではない。逃げられる前に、素早く手を伸ばして鈴をとらえた。
「放してー!」
「騒ぐと迷惑になるよ。あ、あそこにいた。ほら、見てごらん」
鈴の叫びもむなしく、ジオラスは自由気ままに行動している。だからこの人は嫌なんだ、と内心呟くも、つかまれた腕が振り払えずに肩を落とす。
諦めが肝心か。
乾いた笑みを振りまきながら、鈴はジオラスが指差した方角を見た。どうせろくなものではないという考えが、そこにあるものを視界に入れて認識した瞬間に変化した。
「か、かわいーっ」
くりっとした丸い瞳。黒い小さな鼻。色はこげ茶色の小型犬が、不自然なまでに通路の真ん中に座っていた。愛くるしい顔を鈴に向けて、ふさふさとした尻尾を横に振っている。
反射的に駆け出しかけた鈴だが、途中で唐突に我に戻る。
「あの犬、この城で飼っているんですか?」
「違うよ。あれは女官長の子飼いで、特別に城内を自由に出歩く権利を与えられているんだ。あれはとても賢いよ」
「女官長の……」
素早く視線を周囲に走らせる。怪しげな人影が見当たらず、ほっと胸を撫で下ろした。だが油断は禁物だ。至るところに姿を現したり、所持する情報量の多さからして、どこにでも潜んでいる気がしてならない。
恐る恐るにじり寄る鈴に、ジオラスは小さくふき出した。
「そんなに怖がらなくても噛まないよ」
「あの子が噛まなくてもあの人に噛まれます!」
「それはあるかもしれないね」
否定してもらいたかったのに。せめて安心できる言葉をかけて欲しかった。
ジオラスのように明るい笑い声を上げている場合ではない。鈴は可愛らしい犬に触れることよりも、女官長の居場所を突き止めるほうを優先させた。
「彼女は心優しい人だから、あれで遊んだところで怒らないよ。リンは小動物が好きなんだろう? 触ってみたらどうかな?」
「……いったい、何を企んでるんですか」
鈴に胡乱な目で見られても、ジオラスはまったく態度を変えない。善人の仮面を被り続けて、にこやかに佇んでいた。鈴にはやたら近づくように話しているにも関わらず、犬を見つけてから一歩も動いていない。明らかに怪しい。
怪しいのだが――気がつけばちらりと横目で犬を見つめてしまう。可愛い。遊んで、と訴えているような瞳を見るだけで、引き寄せられそうになる。いけないと考えれば考えるほど、犬のことが気になって仕方がない。
ほんの少しなら触れても大丈夫かも。
何の根拠もない安心感を自分に植え付けてしまうしまつだ。煽るものはいるが、鈴を止めるものはいない。
「くっ……こやつめ、可愛いじゃないかっ」
欲に負けて鈴は走り出した。そして犬が怯えられても関係なく、その小さな体を抱きしめる。行き届いた手入れがされているのか、毛並みがよく、さわり心地もとてもいい。いかにも世話にお金がかかっている犬を、鈴は少しだけ羨ましく思った。
誰でもいいから、もう少しわたしを労わってくれないかな。
変人ばかりと付き合うのは、心労が絶えない。常に厄介ごとに備えていないと、完全に巻き込まれて大変なことになる。
日々の辛さを、犬と触れ合っているだけで薄れていくのだから不思議だ。動物は心の癒しを与えてくれる。それは異世界であろうと変わりないのだろう。
至福の笑みを浮かべて犬と戯れている鈴を、ジオラスは嬉しそうに少し離れた場所で見守っていた。
「ジオもこの子に触る?」
別にいなくても構わない、むしろいないほうが嬉しいのだが、いつまでも近づいてこないジオラスに、鈴は声をかけた。広すぎる心を持って接する自分を、鈴は誰も褒めてくれないので、心の中でひっそりと自画自賛した。だがあまりのむなしさに肩を落とす。
うな垂れている鈴に、ジオラスは不思議そうな目をしながら歩み寄る。
「どうかした?」
「いえ、なんでもな……」
ふう、とため息をつきながら、鈴は犬を見つめた。その瞬間、石化した。
「リン?」
「ひえぇえええっ!」
声をかけられて、石化がとけた。直後に鈴はためらうこともなく、手にしていた犬を放り投げてジオラスに抱きついた。いつもならありえない行動に、さすがのジオラスも目を丸くする。鈴自身、動転していなければ絶対にこんなことはしていない。自分がいったい何をしているのか、まったく理解していなかった。
意識が向いているのは、先ほどまで手にしていた生き物に対して。
「目がっ、目がぁ!!」
鈴はジオラスの背中に回り、片手で力強くしがみついた。相手が苦しげな表情になっていることにも気づかずに、鈴はもう片方の手で犬を指差して叫んでいる。
悲鳴に近い声を聞いてもジオラスは困惑したままだった。
「目が痛いの?」
「違う!」
鈴は遠慮なしにジオラスの背中を叩いた。
「見てくださいよっ、あの犬、目が三つもあるじゃないですか! いやーっ、なんかこっちにくるし!」
もう遊んでもらいたそうな瞳を見ても、鈴にとっては恐怖の対象でしかなかった。
二つの目の間、斜め上にある三つめの目がきらりと光る。それだけでもどうしていいか分からなくなるというのに、短い足でとてとてと近づかれている。
犬が近づいた分だけ、悲鳴を上げながら後退する鈴に引っ張られていても、ジオラスは満足そうに笑っていた。
「そうか。リンの世界に犬はいても、目は二つしかないのか」
「なに一人でうんうん頷いてるんですか! あれは犬じゃないですっ。早く逃げましょう!」
大きな声で騒ぎ立てる鈴に、ジオラスは珍しく笑顔を消して顔をしかめた。いつもは笑顔で隠れている怜悧な面。端正な顔立ちがいっそう色濃く際立たせている。
「目の数が違うだけで、君は手の平を返すのか」
問いかけではなく断定。淡々とした口調はなぜか優しさを感じさせるのに、強く突き放された気がした。
明らかな嫌悪感を示されて、鈴は息を呑む。つかんでいた手をとっさに放す。振り払われるのが怖かったのかもしれない。好きでもない相手にどんな態度を取られても、一向に構わないはず。何をしているんだろう、と鈴は自分の行動に頭を悩ませた。
重い沈黙が流れていく。どちらも言葉を発することはなく、相手の目の奥にあるものを探るように見つめ合っていた。しかし、しばらくして鈴は冷ややかな眼差しに耐えられなくなり、不意に目を逸らす。
何かが途切れた気がした。
「冗談だよ」
「……へ?」
頭の上から降ってきた明るい声に目を丸くする。
視線を戻せば、ジオラスはいつもの表情でにっこりと笑っているではないか。先ほどまでの冷たい空気などなく、幻でも見ていたかのような錯覚を覚えた。他人のことは言えないが、この変わり身の速さは何なんだ。
ジオラスは悪戯っぽく笑い、鈴の顔を覗き込む。
「リンの取った行動は正解。もしかして、気づいてた?」
「気づくって……」
いったい何に?
呆然と周囲に視線をめぐらせると、いつの間にか犬の姿が消えていた。怯える鈴に興味をなくして、別の場所へ行ったのだろうか。犬の行方について考え込んでしまい、あとの言葉が続かない鈴に、ジオラスは苦笑する。
「知らなかったのか。あの犬はね、牙に毒を持っているんだ。危なかったね、リン。これからは三つ目の動物に気をつけたほうがいい。大抵三つ目は攻撃性が強いから」
悪びれるふうもなく言い切る相手に怒りがわくのは必然だった。
「毒!? あ、あ、あんたっ、知っててわたしを連れてきたでしょう! わたしのこと殺す気!?」
「まさか。危なくなる前に止めているよ。少し驚かせようかと思って」
「少しどころか心臓に悪すぎる! このバカ!」
ジオラスのわき腹を力強く叩いた。顔を狙わなかったのは、当たる前に止められるというのもあるが、どれほど怒り狂おうとも端正な顔を殴るのは忍びなかった。
「あんたなんか大っ嫌い!」
再び叩いてから、鈴は仕返しを恐れて身を翻して逃げ出した。背後から追ってくるくすくすという笑い声に腹を立てつつも、怒りを発散するために戻る気にはなれない。きっと今戻れば捕まって、必ずや報復される。悪いのは自分ではない、相手だ。だからやられてやる義理はない。
脱兎のごとく逃げ出した鈴は、一度も振り返ることはなかった。悪魔から逃げおおせた彼女のことを、一部の者たちは伝説として語り継ぎ、尊敬したとかしないとか。
後日、女官長がなぜ危険な生き物を飼っているのか疑問に思う鈴だったが、その謎が解かれることはなかった。
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